装備品展示準備開始。
そして、今回の総火演のお楽しみ12式地対艦誘導弾です♪
2回目の総火演。 思えば14年という月日でいろいろと変わった部分もありました。
ここで前回参加(2000年)と、今回(2014年)を比較します。
前回の2000年の総火演では3つの新装備が登場しました。
OH-1観測ヘリ、96式多目的誘導弾(装備品展示のみ)、指向性散弾です。
この中で「指向性散弾」は対人地雷廃止に伴い新規に(仕方なく?)配備された装備ですが。
前者のOH-1観測ヘリ、96式多目的誘導弾はかなりの予算と時間をかけ開発された、期待の最新装備品でした!
それから14年、両者とも新規調達は早い段階で打ち切られ、全国各地の部隊に配備される構想が、実現されることはありませんでした。。。 これらの装備は冷戦型思考の中で開発が進められた装備。 その最後の時期のものがようやく運用されだしたのが14年前でした。
同時に90年代ポスト冷戦という時期で、新たな役割が防衛庁自衛隊に求められた時代でもありました。阪神大震災、地下鉄サリン事件、東海村臨界事故、能登半島沖不審船事件、北朝鮮の長距離弾道弾発射、カンボジアPKOなど。 今までに自衛隊が経験したことがない事態が連発したのです。
冷戦構造の元、ソビエト軍への対処への一辺倒だった80年代までの自衛隊。 それが、ソビエトという仮想敵を失い、いきなりに今までに経験したこと無い多様な猛威への対応を迫られ。14年前と言う時期は、自衛隊にとって自分探しに翻弄していた時代だったと印象です。
この時期は防衛予算も削られ続けていました。国民からも災害派遣や対テロ以外で自衛隊って必要なの??みたいな空気があったように思います。 法整備も、まったくなっていませんでした><
即応予備自衛官制度の創設もありましたが、ご存じのように迷走した部隊編成をしてしまいます。
訓練でも90年代終わりに初めて陸海空3自衛隊の統合訓練が行われたばかりでした。
その迷走の時期を脱する大きな機会が13年前に起こります。
21世紀の始まり、9か月目の出来事でした。
911を境にした、国際貢献への積極的な参加を開始。 更に、テロ国家とされる北朝鮮に対する、弾道弾防衛、不審船対処、ゲリコマ戦闘強化が明確に強化されだしたのです。
陸自にとって、00年代は大きく形が変わる時期ににったと思います。
この時期に軽装甲機動車、中SAM、10式戦車など今では見慣れた装備が登場することになります。
訓練も、冷戦時代から続いた北方転地訓練を改め共同転地訓練の開始、市街地戦闘訓練施設も続々できました。 海外での訓練機会も増えていきます。
明確ではなかったものの、中国の軍事強化に備え第1混成団を改め、第15旅団への改編、西部方面普通科連隊の創設もこの時期です。
しかし、それも過去のものなるのです。
冷戦時代に匹敵する強大な仮想敵が明確になったのです。中国の猛威の増大による新冷戦の始まりです。さらに311という、日本国民が一生忘れない大きな災害を経験します。いや、現在進行形の災害を経験しています。
民主政権の革新的な防衛大綱で示された「動的防衛力」、さらにそれを発展させた「統合機動防衛力」へ向けての整備開始が始まったのです。
そんな自衛隊の大きな変化を14年ぶりの総火演は見せてくれました。
しかし、この14年。最も大きく変わったのは、自衛隊人気でしょう!!
帰り道は、それを あ る 意味で感じる時間となりました!!
期待していた装備品展示ですが。。。。
もの凄い大人気です。 帰りの時間もあるので、装備品展示は諦めて撤収しました。。。
時間は13時10分でした。
これは大失敗><
バスを待つこと1時間半!!! 山の中なので、暑くはないのですが。 歩道橋が混みすぎ。。。
しんどい時間でした。
なんか気になる支援車がちらほら。
迷彩色の旧型おるよ!?
バスに乗ったらあとは御殿場駅を目指すだけです。
帰りの運転に備えて寝ていましたzzz
眼が覚めます。 なんと言う事でしょう!! 時計を見るとバスに乗って1時間以上もたっています!?
なんか途中で大渋滞。バスがまったく動いていません。。。 歩行者にも抜かれます。
待ったり、並んだりが苦手な父がカリカリしています><
どうやら東名高速で事故があり、御殿場ICに行く道が、未曾有?の大渋滞になっていたようです。
御殿場駅近辺まで来ると、後で発車したバスが先に走っているではないですか!!
我々の乗ったバスは、大渋滞で動かなくない・・・ 後続のバスはルートを改めて御殿場駅を目指して来ていたのです。
御殿場駅まで行かず、市営駐車場前で降ろしてもらうと、時間は16時。。。 1時間半もバスに監禁されていたのです。。。。。
後から聞くと、14時前に並んでも、御殿場駅への到着は同じ時間だったようです。こればかりは、事前にわからいのですが、悔しかったです。
ここからは自分で運転、父は仮眠モードです。
全線新東名で帰る予定でしたが、御殿場ICへの渋滞を考慮。 駒門駐屯地を横目に、裾野ICから東名へ。これは名古屋方面帰る方にはお勧めですよ。
清水から新東名にルートチェンジ。 新東名は走りやすい道で、お気に入りになりました^^
途中の静岡SAで小休止。 本当におされなSAに感動です。
父が富士宮焼きそばのつもりで買った、普通の焼きそばを食べたり。妻にお土産を買ったり。
ここで地図を見ると、長泉沼津から新東名入りも出来たのですね。 どっちが早かったか、今となっては不明です。
三ヶ日から旧来の東名に戻ると渋滞発生。。。 名古屋への入り口ということもあるのでしょうが、名古屋近郊での渋滞なんて考慮していなかったので辛い1時間でした。
愛知県の美合SAで休憩&運転交代。
途中から雨の中を父に運転を任せて仮眠、気付くと吹田SAで給油中でした。 次の休憩が淡路SA。
ここまで来れば四国に戻ったも同じ!?です。
随分と休憩回数が少ないです^^; あんま参考になさらないでください。
最後は自分が高松まで運転。 高松中央ICを降りると同時に日付が変わりました。
月曜日の仕事が眠かったのは言うまでありません。。。
以上で今回のレポート終了です。